Google ブックスを使うと、著作権が有効な書籍は、多くは数ページ、著作権が切れた古典であれば全体を見ることが出来る。Googleが著作者の団体、出版社に訴えられていた訴訟が和解し契約を結んだところで、日本の団体も同じ方向に向かっている。
Googleブックスは、大規模ないくつもの大学図書館の蔵書をディジタル化して提供している。当然この中には現在流通している書籍もあり、商品の価値が無くなるというので、著作者、出版社が猛烈な抗議をしていた分けである。これが和解したというのは、著作権が残っていたり、流通している書籍は著作権者が認めた分だけしか中身を見せないというもので、Googleは検索でヒットしたり、一部を見せることで、関心を持った読者に購買意欲を高めさせるサービスを提供するのである。
もちろん、著作権が残っていても絶版で再版の見込みがない書籍や、すでにコストを回収して公開したいと著作権者が希望すれば、全部を公開することも可能である。
日本では、いろいろな図書館などが、書誌情報のデータベースを構築してきて、キーワードなどを使って論文や書籍の存在、所在を知ることが出来るようになっているが、肝心の中身を見るためには、所蔵している大学まで出かけたり、コピーサービスを利用したりする必要があった。これは著作権者に遠慮してきたためで、中身をデータベース化するとか、無料で公開するという発想は誰も持っていなかったと思われる。Googleはあっさりこの壁を破ってしまった。
書籍というのは独特の価値を持つもので、著作権が切れたとたんに価値が無くなるものではないし、1000年たっても価値が残ったり、時代と共に価値が増すものもある。一部でしか必要とされないような書籍は、著者が広く普及したいと思っても手だてがなかった。それをGoogleが提供してくれるのはありがたい。一方、美術品とか工芸品としての価値を別にすると、その価値を担う中身は情報そのものであって、IT時代となって文字に置き換えたりPDFで何ページ分何MBとかの形になると、無料で何部でもコピーが可能となってしまった。
著作者や出版社は、ネット上に無料のニュースが飛び交っていて、有料購読者が激減して苦しんでいる新聞社と同じ質の重荷をしょっている。かつては、編集、印刷、流通、販売の手段を独占しているために安泰であったこれらの企業は、印刷から先のコストがネットの発達でほぼゼロになってしまい、編集の機能だけしか売るものがなくなってしまった。記者や小説家も無料でも発言したい大衆から大量に産まれており、本当のプロと大衆との境界が不鮮明になった。プロの著作者や出版社は、どのようにして素人と差別化していくかが問われることになる。
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