衆議院選と同時に、最高裁判事の国民審査が行われるが、これまでにこの国民審査で罷免された裁判官はいない。当たり前のことで、彼らが何を考えてどのような判断をしてきたか、これからどのような基準で何をしようとしているか、国民の多くは何もしらないからだ。選挙公報と、新聞にちょっとだけ載る経歴や意見を見て、この人は良い、この人はだめと判断できる人はあまりいないだろう。
この国民審査制度は、良い裁判官を国民が選ぶ、悪い裁判官を罷免する、という目的のためには、まったく機能していないのだ。
昨日の新聞に出ていた記事を見ても、死刑廃止論に対するスタンスは、全員が判で押したように、国民の意見に沿っていくと、(おそらく持っている)自分の考えを明らかにしていない。
また、現在のような罷免したい裁判官に×をつける投票法で、それが過半数にならなければ罷免されないというのでは、永遠に日本の国民審査は有名無実で過ぎていくだろう。
政治家と違ってふだんから言動を耳にすることはほとんどない、裁判の結果は重大事件の場合に、それなりに報道されるが、最高裁の判断がどうこう、と報道されても、この裁判官はどう判断、少数意見はどうだった、といったことはあまり話題にはならない。
信任したい裁判官のみに○をつけて、過半数をとれない裁判官は罷免する、としたらどうだろうか。裁判官は国民審査のための運動をして、自分の信条を明らかにして、国民の信を問うのだ。そして信任が得られたもののみが最高裁裁判官として生き残るのだ。まともな、最高裁を作るには良い案だと思う。
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